道教

道教は、もともとは中国古来のシャーマニズム的呪術信仰を基盤とする自然宗教で、 時代にしたがって人気のある神やいろいろな思想を受け入れてきたものです。 その結果中身は、儒教や仏教の思想やスタイル、陰陽説・五行説、易学や医学、 占星術など非常に多彩で、さらに加えてその道教の影響を受けた民俗や信仰が 広く浸透しているため、結局どの範囲をもって道教とするかは難しいようです。
成立宗教としてのはじまりは隋・唐の時代ですが、発生はもっと昔(約1800年前)で、 当初は「神道」と呼ばれていたそうです。日本の神道と成り立ちも似ているし、 もしかすると日本の神道という言い方はこれを借用したのかもしれません。 ちなみに成立以前には「道教」という語は一般的に使われていて、 「先王の教え」(墨子)であったり、仏教を意味(無量寿経)したりしていました。

(以下は主に「道教の神々」窪徳忠著によっています)

神仙思想

ご利益の中心は長生き(不老長生)です。 他のご利益として大変な種類の現世利益が説かれますが、 究極の成果として徹底的に長生きを追求する点がとても特徴的です。 道教ではさまざまな呪術を駆使し、 倫理や道徳の実践を通じて徳を積むことで福禄と長生きを獲得します。 そしてさらに修行して、不死で超能力を持つ神仙になることを目指します。

三部世界

仙(天)・人・鬼からなる三部世界の概念は仏教の因果応報観と似たもので、 ひとは上帝鬼神の裁定する「功過」によってどこに行くかが決められ、 三部の間を往来することになります。 こうして仏教風の仕組みを使って儒教風の倫理の実践を説くわけです。 これによれば神仙思想も、本当の目的は徳を積んで仙へ昇格することであり、 不老長生とか超能力はいわば余禄のようなものということになるでしょう。 倫理性重視の考え方です。

道教の教団

太平道 2世紀前半頃、医術、五行思想や予言能力にすぐれていた于吉が、 神から授かったという「太平清領書」を根本教典として発生した。 のちに張角が華北一帯で数十万の信徒を軍隊的に組織化し、黄巾の乱を起こした。 張角ら3兄弟が死ぬとともに衰退。多くの信徒が魏の曹操軍に入ったとされる。
五斗米道 天師道の源流。もともと儒学を学んでいた張陵(張道陵)が、 天降ってきた柱下の史(老子)から授かったという「新出正一盟威の道」で 数万の信徒を得て、息子の張魯が教義や組織を完成させた。 「三官手書」(天地水の3神に捧げる懺悔文のようなもの:病気は罪の報いと考えられていた)を使った治病のまじないや、「義舎」と呼ぶ無料宿泊所の開設などを 行い、巨大な勢力を持ったが、215年曹操に降服した。
天師道 いったん五斗米道教団は分裂したが、再興して勢力を伸ばし天師道と呼ばれるように なる。6世紀頃には各地に天師堂が建ち、11世紀には北宋と結びついて江南地方一帯に勢力を持った。14世紀ごろには正一教と呼ばれ全真教と勢力を2分したが、その後衰えている。
上清派(茅山派) はじまりははっきりしないが、6世紀ごろに第9代教主の陶弘景が「真誥」などを 著し、道教思想・信仰の体系化を進めた。唐の時代に王室の祖先を老子であるなど として結びつき、全盛期となる。その後はあまり振るわない。
新天師道 もともと天師道の修行をしていた寇謙之が、 天降ってきた太上老君(老子)から授かったという天師の位に就き、 房中術や信徒からの寄進を止め、神仙説の養生術を中心に儒教の礼を加えた教えを 説くようになった。5世紀中頃、新天師道は北魏の太武帝の信仰を得て国教化し、 太武帝は「三武一宗の法難」の最初となる仏教弾圧を引き起こしたりしている。 道教はこの時期に大成されたと考えられている。 しかしその後新天師道がどうなったかはよく分からない。
太一教 12世紀前半に成立、金王朝からモンゴル朝にかけて隆盛したが、 13世紀末には絶えてしまった。 開祖の蕭抱珍の伝記や説かれた内容についても詳しいことはよく分かっていない。 儒教の中庸を尊重したこと、飲酒や五辛を禁じたことなどが知られているらしい。
真大道教 「道徳教」に基づき、儒仏道3教の特色をあわせたような性格を持つ。 12世紀に始まり、モンゴル朝公認のもとで勢力をのばしたが、 14世紀の初め頃教主の位置をめぐる争いで絶えてしまった。
全真教 儒仏道3教の同源論に基づき、禅の要素を多く取り入れた性格を持つ。 開祖は王重陽で12世紀に始まり、高弟のひとり丘長春がチンギス=ハンに招かれ 信任を得るなど勢力をのばした。仏教との論争に敗れて教勢が衰えたりもしたが、 すぐに持ち直して元朝末期まで強い勢力を持った。
浄明忠孝道 儒仏道3教をあわせた性格ながら、特に忠孝を教学の根本とする。 13世紀ごろの成立。
武当道 玄天上帝のいるところとして知られた武当山を本拠とする。 10世紀始めには成立しており、かなりの数の道観が山中にたてられたが、 元朝末期の争乱で破壊され、それに伴って武当道も衰えた。

日本への影響

道教は、日本では独立した宗教としては定着しなかったようですが、 その一部である呪術信仰は古代すでに日本に伝っていて鬼道と呼ばれていました。 また神仙思想なども、雑密や修験道の主要な担い手となった山林修行者に受容されて いました。特に陰陽道は道教と同根であると言われるほど、基本的な部分で 深く結びついています。

道教の現状

文化大革命以前から道教は迷信として攻撃され、 戦争中には仏教の寺院に相当する道観の多くが兵舎など別の施設に転用されました。 また、中華人民共和国の成立後は道観の所有地が最小限に縮小され、 道士や女冠は布教を禁止されて自活を要求されていたため、存続も危ぶまれる 状況だったようです。 しかしその後、主要な道観については国が修復し、運営に必要な費用も国費で まかなわれるようになってきたそうです。
現存の宗派は全真教と正一教(天師道)のふたつだけで、 浄明忠孝道や上清派(茅山派)、武当派などは正一教に合併されたそうです。