新人技術者・研究者に捧く / ネットワーク

  • 鈴木 裕信
  • 初出: 共立出版 Bit 1998年5月号
    この文章は筆者が以前に執筆した「新人技術者・研究者に捧く / ネットワー ク」(共立出版 Bit 1998年5月号掲載)のオリジナル原稿をhtmlにしたものです。

    もう1世紀近いのだ

    コンピュータ分野の流れの速さを比喩するのにDog Yearという言葉をよく使 う。Dog yearとは、犬の年齢のことを指す言葉である。犬の1歳は人間の7歳に 相当する。つまり、コンピュータの分野も犬の加齢と同じで、1年が7年分に相 当するということを意味しているのである。

    私が、真面目にソフトウェアをやり始めたのが、新入社員として会社に就職 した1985年からだから、速くも13年、Dog Yearで計算すると、約91年間もの時 間が流れたことになる。早くもあと少しで1世紀になろうとしている。それは、 私が最初の頃に学んだことは、1世紀前の技術や知識であるとも言える。その 知識や技術は、現在でも教科書的知識として役には立つが、現場で使われる技 術としては、もう時代遅れになっていると言った方がいいだろう。他の分野で は、なかなか経験できない時間の流れだ。

    これはまた、どんどん新しい知識を追いかけていかないと、時代に取り残さ れてしまうことも意味している。新しく入ってくる人達には、これは大きなチャ ンスである。過去の努力よりも、これからの努力の方が大きなファクタを持つ からだ。その努力をどれだけ継続できるかも鍵となる。努力を怠れば、あっと いうまに後ろから追い抜かれる (まるで“水戸黄門テーマ唄"を地でいくようなものだ)。

    私はハッカーに憧れた

    その1世紀前に自分はどんなことを考えていたか思い出してみると、私は当時〜 今もそうだが〜、ハッカーに憧れ、そしてなりたかった。ハッカーとは、何で あろうか?現在は、米ニューズウィーク誌のハイテク専属記者して活躍してい るスティーブン・レビーの言葉を借りれば次のようになる ( 「ハッカーズ」、 スティーブン・レビー著、工学社、1987年 )。

    「実は冒険家、空想家、大胆な行動家、芸術家であり、コンピュータ がなぜ革命的な道具なのかを一番はっきりしっていたのがハッカーだっ た。彼らは皆、ハッカー的指向形式である深い集中状態に没入するこ とで、どれほどの可能性が拓けるのかを知っていた。」

    当時、一番有名なハッカー達とはMIT(マサチューセッツ工科大学)の人工知能 研究の父と呼ばれるマービン・ミンスキー教授の周りにいて、誰も真似できな い信じられないような高度なプログラムを作っていた連中である(「心をもつ 機械」、J.バーンスタイン著、岩波書店、1989年)。世界で最も優れたプログ ラムを作っている人達こそハッカーであった。

    ところが、最近は、ハッカーという名誉ある称号が、近年のインターネット ブームで現れたようなインチキな連中、インチキなライター、これまたインチ キなマスコミによって、不正アクセスを繰り返すコンピュータ・マニアに対し ての蔑称として使われている。残念だし、このようにハッカーの名誉を汚す無 責任な態度を腹立しくも思う。

    最初の5年間

    私が足を踏み入れた、80年代中期の頃、ネットワークという言葉を使うと、 通信屋さんの回線接続とその周辺技術を意味していた。コンピュータ屋さん、 あるいはソフトウェア屋さんの世界とは思われていなかった。もちろん、先進 的で将来の展望がある人達は、コンピュータとネットワークが不可分であるこ とを理解していたが、コンピュータと通信の両者は、まだ隔たりがあった。

    1990年代の始め頃でも、両者が不可分であることが一般に浸透しているとは 言いがたい。当時、私の所属していた研究グループは、ネットワークのトラフィッ ク量の計算モデルの作成とそのシミュレーションの研究を行なっていた ( 実は、それ以前に現場で電話交換機に関するシステム開発に何年か関わってい たという前フリがある )。 その論文を見ると、最初の方に、わざわざこんな ことわり書きを入れている。「コンピュータ・システムとは、コンピュータと それに接続されたネットワークからなる集合体を意味するようになってきた」 (「NeTS ネットワークシステム性能見積り支援ツール」、鈴木裕信、中野秀男、 東北インターネットフォーラム`92予稿集、1992)。こんな具合に、今日、当 り前のことだと思っていることでも、ちょっと前までは違っていたりするもの だったりするのだ。

    さて、この頃、徹底して勉強した(させられた?)のが、ネットワークの動作 原理やそのモデルについてである。イーサーネットの動作原理や、TCP/IPのモ デル、ICMPの動作モデルなどプリミティブな部分である。

    その頃、私が教科書として使っていた本を2冊紹介しよう。現在は、改定版、 さらに日本語版が出ているので、そちらを参考にして欲しい。

    ネットワークというキーワード

    ネットワークというキーワードは、あまりにも幅が広い。通信、放送は、言 うに及ばず、線が継っていればネットワークというキーワードに引っかかる。 しかし、ここでのネットワークとは、コンピュータ・ネットワークを意味する ことにしたい。もちろん、コンピュータと通信や放送の堺目は既に曖昧である。 一応、ここではコンピュータとは、人間と機械がインタラクションを持つこと、 そして、ソフトウェアを選択することにより、汎用目的に使用できることを前 提とする。ニンテンドウ64、プレイステーション、セガサターンといったゲー ムマシンは、ここでの便宜的に定義しているコンピュータの分類には入らない。 パーフェクTVのような衛星経由でのブロードキャストも入らない。あるいは、 TV電話機も入らない。

    それでも、現状ではテーマ選択に悩む程である。ちょっと前まで(今もといっ た方が正しいのかも知れないが)世間に溢れていたマルチメディアというキー ワードともクロスオーバーする(脚注: ついでに言えば、過去にはマルチメディ アの研究をやっていたりもするのだった。交換機→ネットワーク→マルチメディ アと変遷していっても、データを交換するというプリミティブな部分はまった く同じであると言えよう。)。

    そこで、便宜として大きく4つに分類して考えてみたい。

    通信メディア

    ファイバチャネル、FDDI、ATM、ギガビットイーサーから、高速モデム、xDSL、 FTTH、はては衛星回線まで、ちょっと10年前には考えられなかったほど多種多 用になっている。

    誌面の関係で、すべてを解説することは不可能なので、幾つか気になる技術 に関してだけコメントしたいと思う(脚注:途中まで、マジメに1つ1つの技術に 説明を加えていたが、とても7000字以内には出来ないことに気がついて、急拠 変更した。)。

    より詳しい情報は、これらのキーワードからさらに詳しく調べてもらいたい。 今は、Altavistaのように莫大なサイバー空間からキーワードを元に検索でき る時代なので、そんなには難しくないだろう。

    ファイバチャネル

    汎用機で使われていたチャネル技術のネットワーク版がファイバチャネルであ る。感覚的には、ネットワーク経由でSCSIレベルのI/Oができると考えれば分 かりやすいだろう。現在の製品レベルで、RAIDからファイバチャネルを使って 100MB/秒ぐらいのディスク転送ができる。ちなみにUltraSCSIは40MB/秒である。 これは、内部ディスクからの転送速度より、ネットワークの転送速度の方が上 回っていことを意味している、つまり、ネットワークということがデータ転送 のボトルネックにならない。まだ出始めなのでコスト高だが、全体の価格が下 がれば、流行するだろう。

    ATM

    ATMは、基本的に(電話の通信のような)交換機のためのメカニズムを持ったネッ トワークのメカニズムである。1つのデータが56バイト(データの運搬に使われ る部分は、さらに小さく48バイト)という小さなセルに分割されて次々に送ら れる。利点は、QoS(Quarity of Service)のように帯域予約が出来ることであ る。欠点は、システム全体がコスト高になることである。利点も欠点もセルが 小さいことに由来する。転送する時は、小さいセルなので制御しやすいが、小 さいセルを大量に処理しなければならないため、その分の処理能力を必要とす る。ATMのメカニズムは、電話屋さんのようにキャリアをやっている人達には 嬉しいだろうが、コンピュータ屋さんから見れば、オーバースペック気味でコ スト高に写る。

    FTTH

    FTTHは、光ファイバを家庭に入れてしまおうというNTTの計画である。光ファ イバなので高速でかつ高品質である。ここでの高品質であるというのは、例え ば、雷でサージを拾う(ノイズが入る)といったような、メタル線で発生するト ラブルがなくなることである。

    絶対的なコストがかなり高いことが問題である。利用者が、どのようにコス トの回収を行なうのかが最大のテーマだろう。例えば、1.5Mbps〜10Mbpsとい う高速な回線を各家庭に入れるとして、そこで流れるコンテンツとは何だろう か?

    コストが劇的に下がるか、あるいは、大量のバンド幅を必要とするキラーア プリケーション(やコンテンツ)が出て来るかしないとにはNTT主導で考えられ ている現在のFTTHの計画には無理があるだろう。

    しかし考え方を変えれば、CATVが光ケーブルを使って各家庭にテレビ映像を送 るというのは、立派なFTTHと言える。それを双方向通信に拡大してしまえば、 それでFTTHが実現してしまう... という話の方が説得力を持つのではないだ ろうか。

    データプロトコル

    下のレイヤが、ATMであろうと、FDDIであろうと、イーサーネットであろうと、 あと少なくとも10年は、転送プロトコルとして使われるのは、TCP/IPであり、 あと2、3年もすれば順次、次の世代のIP規格であるIPv6に置き換わるだろうと 言い切っても、怒られはしまい。

    それでハッピーなのかと言えば、私は、少し疑問を感じる。IPv6は、確かに 能力的には十分である。しかし、私の目には少々十分過ぎるように見える。オー バースペック気味に写るのだ。特にセキュリティを満たすために認証ヘッダ (Aythentication header)と暗号ペイロード(Encapsulating security payload)が規格の中に入っている部分に疑問を感じる。

    鍵交換や暗号アルゴリズムというのは、比較的短期間で変化してしまう可能 性がある。例えば、ある暗号アルゴリズムを簡単に解くような方法が見つかっ てしまった場合、すぐに別のアルゴリズムに乗り換える必要がでるだろう。そ の場合、IPv6のレベルで変更するよりも、暗号セキュリティというレイヤを入 れ換える方が、すっきりしている。

    また、暗号化/復号化に必要な計算量と、ネットワーク・スピードとのバラン スが悪い。例えば、ギガビットの単位で速度の出るネットワークを考えてみよ う。IPv6のもつ認証や暗号化は、現在は、高々毎秒メガビット単位が限界であ る。ところが、ネットワーク速度の方が、2ケタや3ケタ速いのである。このギャッ プをどう埋めるのだろうか?

    IPv6が、安全であるのは確かである。しかし、すべてのIPユーザに、同じレ ベルの安全性が必要であるとは私は到底思えない。必要なユーザに必要なだけ の安全性を与えるような、多様なニーズに対応できるレイヤを別に用意する方 が本来の姿のように思う。

    アプリケーション

    さて、現在のキラー・アプリケーション(脚注:ちなみに、この「キラー」と は"超カッコイイ"というような感じで使われる俗語である。別に何かを殺すわ けではない。)はWWWブラウザだろうが、次のキラーアプリケーションが何であ るかは、私にはわからない。流行する時は、たった2、3年の内に新しいものが 一気に広まるからだ。

    私は、むかしからNeXTを使っている関係で、WWWのシステムが、まだNeXTの上 にしかなかった初期段階から知っているのだが、その時は、まさか今日のイン ターネットを支えるアプリケーションにまで発展するとは思ってもいなかった。

    93年5月に、サンフランシスコで行なわれたNeXTSTEP EXPOの最終日にディスプ トップパブリシングに関する小さなユーザ・セッションがあった。参加者は、 私やスタッフも含めて20人もいなかったと記憶している。まだ一般にはインター ネットは普及しておらず、その20人といってもメールアドレスを持っているの は、5割強程度だった記憶がある。私は、インターネットを駆使して編集・印 刷・出版するという話をしたのだが、次のスピーカーが、なんとCERNから来た 人で、内容がWWWシステムだった。

    93年5月といえば、WWWのブラウザであるMosaicがSUN上で動作していたはずで あるが、WWWのサーバ以前としてNeXTSTEP上にしかなかった。まだWWWがマイナー なプラットフォーム上で ( この言葉は、NeXTマシンのオーナーでもあるNeXTマニアの私にとっては 辛いのだが、事実は事実としてこう書かなければいけないのである。)、 まだ一部の人間にしか知られない、研究・実験のレベルとも言えるアプリケー ションだったのだ。

    今にして思えば貴重な体験である。しかし、これにしてもたった5年前である。 このように、キラーアプリケーションは、どこから、どのような形で出て来る かはからない。そして広がる時は、爆発的に広がる。

    さて、全体的な傾向としては、ネットワーク分散技術がさらにソフィスケイ トされた形になっていくことだろう。そしてアプリケーションが、一々ネット ワークを意識することなどせず、ネットワーク自体が1つのコンピュータシス テムであるように見える本格的なネットワークOSの上で動作することが前提と なるだろう。98年2月Bitでも紹介されているPlan9やInfernoといったOSが最短 距離にあると私は考える。ちなみに、私もPlan9のファンで以前よりPlan9を持っ ているのだが、残念ながらPlan9で遊ぶ暇がないので悲しい思いをしている。

    コンテンツ

    最も問題となるのがコンテンツである。将来は、ネットワーク上にMPEGのよ うな動画像がガンガン流れる、という予想は正しいだろう。だが、一歩引いて 誰がその映像を提供するのかを考えてみると、コンテンツ自体は既存のTVや映 画の構造と同じだと私は思う。映像(動画像)に加えて双方向でインタラクティ ブにやり取りできるという未来像がある。確かに一部では、そのようなニーズ もあるだろう。

    しかし、家で見るTVを考えてみよう。少なくとも私の家では、TVなんていう のは、BGMであり、あるいはバックグラウンド・ビジュアルである。そんなに 真剣に見ているわけではなく、TVの画面を垂れ流していていて、気が向いたら 目を向けるだけである。最近で、わざわざTVの前に陣取って真剣に見た記憶な んていうのは、この間の長野オリンピックの女子フィギュアぐらいのものであ る。

    こんなのは今のCATVで十分である。わざわざコンピュータを使っての汎用で 使える双方向化する理由がない。テレビ屋さんのようにブロードキャストを中 心とした通信が、コンピュータの通信かと問われると、首を横に振らざる得な い。ただし、コンテンツを提供する側、つまり売る側でいけば、映像を一定時 間与えて、それに対する対価を受け取るという、100年前に映画が出来たとき から延々と続いている明確なビジネスモデルが適応できるので、ビジネスとし ては発展していくことだろう。ただし、それはもうコンピュータではなく、一 方的に送りつけられる限りなくTVに近いモノだと思われる。

    あと映像は、人に時間的な拘束を要求する点も、実は、あまりコンピュータ 向きではない。例えば、ジェームス・キャメロンの映画タイタニックを早回し でみたり、所々のシーンをかいつまんで見てもあまり意味のあることではない。 映像ニュースにしても基本的に同じである。テキストのように見出しだけササっ と見て全体を掴むということができない。3分の映像なら3分待たなければい けない。オプションとして資料映像が用意されるだろうが、主役となるのは難 しいだろう。

    もっともニーズとしてありそうなのが、スケーラブルな計算能力を供給する ためのネットワーク分散だと思う。こんなシナリオを考えてみよう。ある日、 ある時、突然、特定の処理をしなければいけないなることが発生するが、手元 のコンピュータには、アプリケーションが入っていない、あるいは、計算能力 が足りないという自体が発生してしまう。それは、継続的に発生するわけでは なく、人生の中で一度しか必要としないアプリケーションや、人生の中で一度 とか必要としない莫大な計算速度が必要になるかも知れない。一度のために、 わざわざ、新しいアプリケーションを入手したり、さらに高度な能力を持つハー ドウェアを導入するのは難しい。

    そこで、必要な時に、必要なアプリケーションを使用するためにネットワー ク経由で、そのアプリケーションを手に入れるか、あるいはアプリケーション が必要な計算能力ををネットワーク経由で使うことになる。これも一種のコン テンツである。

    英語で表現すれば、Network for Providing Computing Facility On Demandぐ らいになるだろうか?現在のJavaの仕様がそのまま適用できるとは考えていな いが、このような使用モデルを提供できているというポテンシャルはある。こ のような環境を実現することを考えると、日本発であるHORBなどは最も近い場 所に位置する基礎技術ではないだろうか。

    最後に

    何度も繰り返すようで申し訳ないが、1つだけ確実に言える、技術や状況は どんどん変化するということである。ただし、技術者として技術的に面白いも のと、実際のマーケットに受け入れられて使われていくものとは、少々かけ離 れてしまうことがある ( 別に反マイクロソフトの立場ではないが、 Windowsだけあれだけ広がるというのは一種異様である)。 それでも、マクロ的に見れば、常に前に進んでると言える。

    新人技術者や新人研究者に対し私からのアドバイスは1つだけである。それ は、自分の好きなテーマを一度トコトンやってみるということである。その突 き詰める過程では、当然、十分な基礎知識も必要となるし、応用技術や周辺知 識も必要となる。好きなことであれば、苦労も苦痛とはならず、愉しいと思う だろう。ある時、ふと気がついて振り返った時、それまでやってきた多くの成 果がその後の自信へとつながると思う。たとえ、振り返ってみてテーマが時代 に合わないものであったとしても、好きなことをやってきたと思えば、少しは 納得するだろう...というのは、無責任な発言だろうか。少なくとも気の進ま ないテーマを選んで、しかもそれはハズレだったという最悪な状況だけは避け られるということだけは確実である。

    (了)